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東京に戻る新幹線の中で仕上げを書いています。



09年の春に高校を卒業して1年間予備校に通った。夏休み明けくらいから同じ授業を受けてる人たちと仲良くなって、東京の大学に合格して予備校を 卒業する時には本科生の半数近くの人たちと仲良くなってた気がする。

その自分が通った校舎は事業縮小に伴いこの春でなくなってしまった。本当に“母校”という感覚が強い。大学時代帰省する時は必ずお世話になった職員の方に挨拶に行ってた。その方とはもう1年以上会ってない。3月末にあったという同窓会的なやつも誘われたけど行けるわけもなく断念。もうあの大変だった時期を一緒に過ごした人達との唯一のハブがなくなってしまった。だから“変わること”は嫌いなんだ。


予備校には本当に個性溢れ…すぎてるというか、個性の塊みたいな、そこ以外の場だと完全にヤバいんじゃないかみたいな先生もいたけど、中でも1番お世話になったのは、地元岡山県の出身で東大を卒業、銀行マンを経て現代文の講師という、今思えば東進の林修先生と同じような経歴の先生の授業を取っていた。その先生は結構雑談が多い人でそれが前フリとなってその日の内容に入りやすくしていたんだなぁと今なら分かるけど、その雑談が本当に長かった。おもしろかったからいいんだけど。


自分ともう一人の男の2人しかいない授業での雑談は特に多く、自分がお笑いやPerfumeが好きだという話をしていたので、新幹線で芸人の誰々と同じ車輌だったとか、ホテルでエレベーターに乗ったらPの3人と同じになって、その後に起こる人柄を感じる素晴らしいエピソードとかを話してくれた。A〜ちゃんの天使さとか。。。


その数多くの雑談中でも、もう今はだいぶうろ覚えになってはいるものの、1番印象に残っているのが、

古事記や聖書などにはいくつも共通点があって、それを研究すれば万人にウケるものが作れる、某映画監督たちはそれを研究してヒット作を連発している」

たしかこういうような内容の話。自分はその話を聞いて「じゃあそれがわかればM-1とかKOCとかで絶対優勝できるネタが作れるってことですか!?」と聞いた記憶がある。それに対して先生はイエスと答えた(聖書だけに。。。)。


それにものすごく感銘を受けて「大学に行ったら絶対研究して絶対にウケる漫才やコント書いてやるんだ…!」と思ったはずなんだけど、大学に入ったらそんな余裕はなく、バイトとラジオとライブに明け暮れ、専攻の哲学ですらまともに身についてないくらいでなんとか卒業。所詮自分のやる気なんてそんなもんなんだなとがっかりした。



そんなこんなでもう丸1ヶ月経ちましたが(早っ)、25歳になりました。毎年どこかしらで書いたり言ったり気がするけど、自分が25歳かぁ、テレビ番組とかでインタビューを受けてる人の横に出る「男性 会社員 (25)」に、まさに自分がそれになってしまったのかぁ……と思うと、何一つ成し遂げてなくて虚しくなる。

なによりも、またひとつ年を取ったなと実感することがある。ラジオや雑誌への投稿は細々と続けているのだけれど、いつもラジオにメールを投稿する時に使う、住所や本名などの個人情報の定型文の年齢を更新する時。もちろんハガキや封書も使うけど、投稿を始めた時からメールでも投稿してて、その時から定型文を更新し続けてきた。16,17から25までずっとやってきているのかと思うと、量の差こそあれ、よく飽きずに続けているなぁと思う。


全然読まれないけど。